こんばんは、そのさき、です。
願いが叶わない理由に自己肯定感が低いというのがありますよね。自分にはこんな素敵な事は起こらないだろう、私が受け取っていいわけない、という受取拒否につながる考えです。
そこで自己肯定感を上げる方法に取り組むと思うのですが、もとから自己肯定感が高い場合は自己肯定感についてすら考えないでしょう。
当たり前のように自分にあるものだから、いちいち考えたことがないに近いと思います。
私は当然?自己肯定感が低かったです。そこそこ大丈夫だと思っていたのですが、よくよく自分を深堀していくと、自分はクズだ、そのままではなんの価値もない、とずーっと思い込んでいました。
なんでか?要因も色々考えたのですが、思いつく事があるようなないような感じで、曖昧でした。
ただ、ハッキリと言えるのは「自分単体では価値がない」という自己否定を持っていました。
それによって、自分に自信がないから言動ひとつずつがどう思われるか落ち着かない、いつも相手を喜ばせないと自分だけでは意味がないと思い、プレゼントしたり奉仕したり役立ち感を作ったりしていました。
今思えばかわいい努力ですが、自分の価値や存在についてが思いっきり人任せになっていて、余計にどうにもならない問題にしてしまっていたんですね。
自己肯定感を上げるのは自分を自分で認める、これだけです。
いやいやこれが難しいのよ、と思いますよね?私はそうでした。何度も自分を認めるなんてやりました!と言いたいところでした。
ですが、自分を自分で認める、これだけなんです。
そもそも自己肯定感が下がったのは自分以外の誰かに言われた事、された事によって起こったことですが、その事象そのものよりもそれを自分がどう感じたかという部分が何よりも大事です。
別の回(その解釈はあっているの? - 思い通りに願いを叶える方法)でも書きましたが、解釈は人によって異なるのでもしかしたら勘違いしているとか、間違って受け取ってしまった事もあるんです。
私の友人の話です。
彼は三人兄弟の真ん中で、兄は一番下の弟を可愛がってばかりで、自分にはよく意地悪されていたそうです。
ある日、三人で近くの公園に遊びに行った所、ふざけていたら噴水に友人は落ちてしまいます。小学生の弟は心配して手を貸してくれたのに、中学生の兄はその場を走って去ってしまったそうで、彼の中で「冷たい兄」「嫌なお兄ちゃん」が確定されたと言っていました。
それから彼は一定の距離を保ちながら兄と接していたそうです。
彼が成人になったある時、偶然母親とその話になったところ「(兄が)物凄い勢いで家に戻ってきてタオルとか引っ張りだして、また飛び出して行って。なにかあったのかと思ったらあんたがびしょ濡れで帰ってくるからもうびっくりしちゃった」と母親が言ったそうです。
そう、お兄さんは彼に冷たくしたのではなく、彼の事を考えて行動していたんです。
そして「あんた(彼)は弟によくちょっかい出して泣かしてたから、お兄ちゃんに怒られたでしょ?」と母親に言われたそうです。
友人にとってはまさかの展開でしたが、自分の勘違いに笑い泣きだったと教えてくれました。
とくに小さい頃の思い出は、自分が覚えている範囲ってとても狭く一方的なんですよね。
そこに色々な思いが乗っかってくるので、全然違う受け取り方になる事も往々にしてあります。
そんな勘違いをしてしまうほど自分が困っていただろうし、怖い思いや悲しい思いをしたのかもしれません。
だから自分を責める必要は一切ないですよ、本当に。
自己否定感はもしかしたら勘違いから生まれたのかも、と捉える事もできます。
いいえ私は確かに言われました!ひどいことされました!という事実を掴んでいる方もいますよね。
色んな人がいて色んな気持ちや事情からそういう事をしてしまう人もいますが、そこまで考えられない時もあると思います。
そういう時は、そんな行為を自分に許してしまった自分を受けとめることから始めるといいですよ。
自分の世界に自分をいじめるような事を展開させてしまった自分を、優しく受け入れてみてくださいね。
それが自己肯定感を上げる第一歩になるとお約束します。